「毎回言うことが意味不明なんっす!いっつもいっつも、ですよ!」(怒)
と声を荒げる部長さん。
「みーんな、そいつの言うこと、わかんないって、いってますよ。」
「こういうやつ、変わるんですかね?」
うーーーーん、
私には、わかりません。苦笑
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これは、ある研修での一コマ。
部下育成のテーマでは、こういうお話、よく出てきます。
この主張、私にはこう聞こえています。
「毎回言うことが意味不明なんっす!いっつもいっつも、ですよ!」(怒)
⇒ あいつがまちがってるんだ
「みーんな、そいつの言うこと、わかんないって、いってますよ。」
⇒ あいつがまちがってるってこと、まちがないだろ?
「こういうやつ、変わるんですかね?」
⇒ 私が教える正しいことがわからないなら、変われるわけがない
つまり、一貫して、私は正しい、とおっしゃっているんだな、と。
これは、とても健全な主張です。
決してこの部長さんが、部下を相手に大人げない、という話しではありません。
これは、誰もが陥りがちな「私は正しい」という名前の落とし穴です。
・反対意見を言われて、反論する
・360度フィードバックに書かれた、ネガティブなコメントを無視する
・職場の問題を見て見ぬふりをする
・仕事でミスをして泣く
こういう言動は全て、正しさを維持するための行為です。
落とし穴にはまる行為です。
そして、誰かと誰かの間で、どちらかがこの落とし穴にはまると、大抵相手も同様に落とし穴にはまってます・・・・
想像してみてください。
ひろーい平野に、落とし穴が二つ。
それぞれ落とし穴にはまった二人の人。
それぞれ穴の中で、「私が正しい~」「私が正しい~」と主張しています。
でも、この二人は、決して接点を持つことはできないのです。
それぞれの「正しさ」に入り込んでいますからね。
接点が持てないので、
なぜそれが正しいとおもうのか
いつもそれが正しいのか
最終的にどこに向かおうとしているのか
いつからそう思っているのか・・・・
そんな風に、相手を理解したり、9割違う意見の中に1割の共通点を見つけたり、最終的に目指すゴールは一緒だったことを思い出したりすることは、【絶対に】なくなってしまいます。
落とし穴にはまってしまいそうな時、あるいは、はまったなと気づいた時、地上に戻る方法が一つあります。
相手の正しさを探求することです。
相手との接点を持ち続けることです。
会話をし続けることです。
私は、ビジネスを題材にしたドラマや映画が大好きでよく見ています。
欧米のドラマや映画に頻繁に出てくるシーンがあります。
上司が部下に、部下が上司に、同僚同士で、「Hey, we need to talk.」と声をかけ、話すシーンです。
こじれた話や、相手が触れてほしくないだろうと思える話題が切り出されます。
「お前、本当にXXXと言ったのか?」なんて言う風に。
その場で言い合いになり、決裂しても、しばらく話が進むと「We should talk.」なんていって、また話す。
ドラマや映画のお話ではありますが、とても参考になる行動だと思います。
慮る、あえて聞かない、という事が美徳の日本の文化とは異なり、欧米では言葉でやり取りをしようとする。
し続けようとする。
コーチングでも、心の中に浮かんだ些細なことをあえて言語化するよう促すことが多々あります。
言語化しないと、思考は二人の間で顕在化しない、関係は構築されない、という考え方に基づきます。
日本の文化を否定するものではありませんが、日本人同士にしかわからないやり方には限界もあります。
多様な価値観が組織を活性化する、だなんて、ダイバーシティが美しく語られ
推進されています。
でも現場で起こっているのは、広いオフィスに落とし穴がたくさんあって一人ずつはまって、「私は正しい~」と主張してる、そんな図ですよ、きっと 笑
そんな時は何があっても、相手への探求を忘れないこと、会話を途絶えさせない
こと、これができなければ、多様性などつらいだけです。
でも、大丈夫。
相手の正しさを探求するということは、相手の正しさを認めることとは違います。
相手の正しさに耳を傾けるという事は、私の正しさが後回しになったわけでも
ありません。
そして、本当は相手も、思っているはずです。
あなたと、理解し合えたらなあ、と。