2020.06.08

隣の世話焼きおじちゃんおばちゃん

英国を拠点に活動する、匿名アーティスト、バンクシー。

時にブラックユーモアも含め、アートに込められたメッセージには、ふと歩みを止めて考えさせられるものがありますね。

今回公開された新作は、米国の白人警察の暴行によるジョージ・フロイド殺害事件に言及しているとみられます。

遺影のような黒い人が写る額の横には、ろうそく。
その炎で、星条旗が燃え始めています。

インスタグラムには、珍しく作品に言葉でコメントがついています。

「最初、この問題についてただ沈黙し、黒人の言葉を聞くべきだと考えていた」
「しかしこれは彼らの問題ではない。私自身の問題だ」

バンクシーの、この事件に対する意識の変化がコメントから伺えます。

*****

物事に、自分が直接関係していることと自覚することを「当事者意識」といいます。
リーダーシップに関する話で、よく出てくるキーワードの一つです。

「当事者意識」という言葉を、私は、「想像力×行動力」と理解しています。

想像力は、一見自分の責任範囲外のように見えることも、同じ組織・社会の中の相互影響しあう輪の中にあると捉え、周囲との関係性や影響力を想像する力です。

そして、想像するにとどまらず、自分が影響しうる術を使って積極的に関与しようという行動力を伴うことを、リーダーシップでは求めます。

コーチングをしていると、その組織の当事者意識の基盤の強弱を感じます。

社長がコーチを受けるとします。
その周囲の反応は、大きく分けると2つのパターンがあります。

同じ組織を構成する一員である自分には何ができるだろうか、と想像し、積極的に関与してくる役員がそろう組織。
一方で、「あ~、最近社長がコーチうけてるらしいね」と、他人事のように捉える役員たちがそろう組織。

社長が変化を起こしたとしても、組織として出てくる成果に差が生まれることは、容易に想像できるでしょう。

組織や社会の変化は、誰か一人が起こすものではなく、関与する登場人物全員の当事者意識が作用して起こるものだからです。

気をつけたいのは、誰でも、自覚の上で他人事のようにふるまっているわけではないということです。

むしろ、十分な当事者意識を持っているつもり、自分の立場や役割を全うするつもりである、ということの方が多いはずです。

特に組織は、責任範囲を明確に分けることで機能させる仕組みでもあります。
むやみやたらに、様々な問題に全員が首を突っ込むことが良いというわけではありません。

ただ、「組織」の仕組みに、今まで通りの期待をしていて結果がでるのか、というところが考えたいところです。

働き方の多様化が進み、会ってつながれる機会が減る一方の中、これまで通りの意識と行動で組織の仕組みに頼っていて、今まで同様の組織力が発揮できるか、という事に疑問を感じるわけなのです。

環境が変わっているのに仕組みは変らないので、同じ結果は期待できないでしょう。

結果を少なくとも同等にするために、まずすぐに変えられるのは、我々の意識と行動、という事になります。

より広く、当事者意識をもって、行動の選択肢を広げていくことが、一つのやり方かもしれません。

昔、私たちが子供のころ(具体的に言うと昭和50年前後(^^; )、よくよそのおばちゃんやおじちゃんに、おやつをもらったり、話しかけられたり、時には怒られたりすることもありました。

「子供は社会で育てる」という社会の基盤が、大人の当事者意識を醸成していたのでしょう。

あの頃のおじちゃんやおばちゃんたちのような、意識的なつながりや、積極的な関与の仕方を、物理的に引き離される組織は、おじちゃんおばちゃんに学んでもいいのかもしれません。

一人一人が当事者意識を持つことは、周囲へ必ず影響を及ぼします。

バンクシーさんの当事者意識により、多くの人が、ふと歩みを止めて考えさせられたように。