ある企業で、抜本的な立て直しが必要となった事業について協議が続いていました。
事業に関連する全部門長が集まっての、トップ協議です。
ところが、半年以上がたっても、「抜本的」といえるような施策が、何一つ動いていない、というのです。
その間、毎月赤字は出続けています。
社長が強烈なトップダウンで指示するとか、外部の専門家を呼んでくるとか、
このリーダーチームが動かざるを得ない状況へ、外圧で追い込む方法は色々考えられます。
でも、外圧による変化は、対処療法にすぎません。
コーチのミッションは、この状態を生み出している組織やリーダーが、自らの在り方に自ら気づくための環境をつくること。
その結果、当事者である組織とリーダー自身の行動変容と対応力向上を促すことにあります。
このような重要度・緊急度の高い課題は、組織とリーダーの開発にとって貴重な題材(といっては失礼ですが・・・・)です。
そこで、ご了承を得たうえで、当件についての会議にオブザーバーとして参加させて頂きました。
意外にも、皆さん比較的活発に発言されていました。
更なる対策案を出す人
リスクを挙げる人
目的を確認し共有しようとする人
どなたがおっしゃることも、的を射ています。
決して感情的でもなく、論理的です。
他者の話をよく聞いて、全員が発言し、協力関係のあるチームに見えます。
しかし、発言には、皆さんの意識を反映している顕著な特徴がありました。
発言の多くに、「人」が登場していない、という事です。
XXのプロセスはこうあるべきだ
XX対策は逆にリスクになりうる
効果がすぐでなければ、リソースも更に必要になる
という具合に。
「人」が主語にならない会話は、「やる」と決めていない人/チームの特徴です。
「私は」といわないことで責任を引き受けない
「あなたは」といわないことで要求を明確にしない
このような発言から、その場の誰一人として、当事者として改革をやると決めている人がいないように感じてしまったのです。
日本語は、主語が省略できる言語です。
言語比較の話で、よく例に出される川端康成の「雪国」。
「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。」という物語冒頭の有名な一文。
日本人は、主語がないからこそ、「汽車に乗る主人公」に自分を重ねます。
視界に雪国が広がったかのような感覚を得ます。
その限られた情景描写からでも、自分を重ね合わせた主人公の心情を早くも想像し、物語へ入っていきます。
しかし、この英訳は「The train came out of the long tunnel into the snow country.」となっています。
主人公の存在を表現しようとすると、「He」だの「I」だの主語を入れなければならず、訳の精度が落ちてしまいます。
そこで汽車を主語にしたのでしょうが、読み取れるものが全く異なりますね。
言葉は思考を構成する重要な要素です。
そのため、大なり小なり思考は言葉からの影響を受けています。
主語を消すことで情景描写や全体観を感じさせる点で優れた日本語。
ただ、主語がないまま発せられる言葉は、当事者意識を薄めるリスクがあります。
特に物事を推進するとき、自ら主体性を発揮する必要があるときは、日本語を使う我々は注意するべき場面です。
会議の参加者だったリーダーたちも、悪気なく、当事者として推進しているつもりで発言していた可能性は高いのです。
でも、会議のたびに「人」の主語がない発言を繰り返してきたことで、外側から論評するスタンスに迷い込んでいたのかもしれません。
言葉は思考を構成する重要な要素です。
ですから、言葉でつくられた思考なら、言葉で変えることも可能です。
私は、推進役の方に、会議で私が感じたことを率直にお伝えしました。
加えて、皆さんの特徴的な発言をメモしたものを、お渡ししました。
そして、発言の一つひとつに「人」の主語をつけて、もう一度皆さんで議論して頂くことを提案しました。
XXのプロセスはこうあるべき
→ 誰がそういったのか
XX対策は逆にリスクになりうる
→ 誰に更に意見をもらうとよりリスクが明確になるか
効果がすぐでなければ、リソースも更に必要になる
→ 誰が策を講じるのか
主語を入れる作業は、とても疲れます。
責任を引き受けることも、誰かに何かを明確に要求することも、とてもエネルギーが必要です。
自分や他者に、一つ一つ決断を迫る議論なのですから。
ですが、「やる」と決めた上での議論はゴールという出口にむかって、意見、感情、アイディアが吸い込まれて行きます。
物事が進むのです。
一方、議論の先にやるかどうかを決める、となると、意見、感情、アイディアは行き場をなくし蓄積されます。
どんどん重たくなり、閉塞感が充満してしまうのです。
一つ一つ明確にして、一人一人が責任を引き寄せ行動するようになりました。
会議では、お互いに「人」の不在を指摘し合うような習慣が生まれたそうです。
部門を越えて、やるべきことを引き受けて進める人が出始め、リーダーチームの一体感が強固になったそうです。
累積赤字は大きいものの、月々の黒字化はみえてきた、というところまで物事は動いているようです。
このプロセスでリーダーの皆さんの中にどのような経験が残ったのでしょうか。
それは、議論を重ね自発的に行動するに至るまでに費やした時間と、その間流し続けた赤字のコストを上回る学習だったのでしょうか。
この事業の立て直しが成功したら、ぜひ一度議論してみたいです。
とても、社会的価値のある事業ですから、達成感は大きいはず。
その分、一人一人が得られる価値が大きいことを願います。